くちばしコンサルティング

経営戦略を実現する、運用しやすい人事制度構築が得意です。

「それでも無理な右折をする人 」と「一を聞いて十を知る人」とを分ける決定的なポイント。

山本遼

大津市で直進車が居るのに無理に右折しようとした車が直進車にぶつかって、園児2人が巻き添えになった…という事故がありました。

悲惨すぎるニュースだったため、報道でも大きく取り上げられていますし、恐らく誰しもが一度はニュースを見たでしょう。

 

一方で。

これだけ報道されているにもかかわらず、車を運転していて、直進車が居るのに無理に右折する車を見ることはまだ多々あるわけです。実際、僕が直進で交差点に入ろうとしているときに右折で横切っていった車も二度見ています。

 

で、これは経験をしたときの心の解像度が全然違うと思われます。 解像度が違うというのは、例えば今回の事件を見て、自身の行動にどう反映するか?というのを見ると判りやすいです。

 

 事故の報道を見たときの心の解像度判別法

解像度別に概要と予想されるリアクションを書いてみます。皆さんも自分がどれに該当していたかあてはめてみてください。

 

解像度レベル0の人:全く何の教訓にもしない人

「わぁかわいそうな事件だ」とか「間抜けな奴も居るもんだねぇ」と言ったか言わないかはさておき、他人事だと捉えている、というのがポイントです。ニュースを消費して生きてる人です。

 

解像度レベル1の人:右折するときは気をつける

「右折するときは気をつけなきゃねー」と言っているイメージ。自分の身に置き換えている点は非常に素晴らしい。そして、表面から見える理由をちゃんとケアしようとしています。

 

解像度レベル2の人:右折に限らずだろう運転をしないようにしようとする人

だろう運転で右折したから事故ったんだなー。」と言っているイメージ。

 

解像度レベル3の人:コミュニケーション全般で勝手な思い込みを排除しようと注意を払う人。

 

相手に言わなくても伝わるだろうとか、判ってくれているだろうとか、運転に限らずだろうで行動すると危ないよな と考えられるような人。車の運転と言うところからさらに一段階踏み込んで考えているわけです。

 

 レベル3まで学びを深められる人のことを「一を聞いて十を知る」と人は評します。レベル1で止まる人は今回の事件以外で、多数のだろう運転による悲惨な事故を目にしなければだろう運転の怖さを学び取る事は出来ません。きっといくつかの事故を目にし終えた頃には最初の事故のことなど覚えていないのでしょう。

 だから、経験から学ぶ時に量に頼らざるを得なくなり、量で対処しようとすると多くの場合実現できなくて破綻します。

 

 

一を聞いて十を知るためには?

 一つの経験から、多くの場面で使える教訓を引き出すためには、問題を深掘りして理由を見つけるという事が欠かせません。

 

 今回の例で言うと

【事象】無理な右折があった

これに対して、それは何故?と問い掛けることで、「相手の車が止まってくれるだろうと考えたから/あるいは自分はいけるだろうと思った」となります。

 ここまで汎用化すると、だろう運転は危ないな、という教訓を得られます。

こうなると右折だけに限らず、運転全般においてだろう運転をすることは無くせます。

 

そこからさらに、だろうで行動すると失敗する事って運転だけか?と考えつくと、「コミュニケーションにおいてだろうを使わないようにしよう」という教訓を得られます。

車の運転という割とレアなケースだけに終わらず、日常生活でも活かすことが出来るわけです。

 

一を聞いて十を知る人になるための簡単なトレーニング

 このブログを閉じた後、目にしたニュースに対して、「このニュースから自分の生活を良くするための教訓が得られるとしたら、どんなことだろう?」と考えてみることで、経験からの学びの質は格段に向上します。

 多少難しくても「教訓はある」という前提で無理矢理やってみることです。

 

 

追記

・もしアナタがレベル3以上の教訓を得られたなら、私より高い解像度を持って考えられていることの証拠になります。(逆に言うとレベル3までしか考えつかなかったのが僕の限界ってこと)

 

・レベル2以降については、解釈と考える方向性次第で複数の解があり得ます。例えば、今回はコミュニケーション方向に進んでいますが、「自身の能力と相手の能力をちゃんと把握しておかなければ失敗する」方向に行くのもアリだと思います。彼を知り己を知れば百戦殆うからずってやつですね。

 

・稀に、教訓の引き出し方をミスってしまうことがあります。例えば「交通事故の多くはプリウスに乗っている!危ないから乗らない!」とか言う奴ですね。真偽の程はさておき、上記の意見には以下のような穴もあるわけです。

  ・そもそもプリウスが世の中に多いから事故車両もプリウスが増えるのでは?

  ・プリウス自体になにか事故を誘発する原因があるわけではないのでは?

   (最近シフトレバーの作りが独特だからという意見もありますが…)

  ・プリウスの購買層に偏りがあるのでは?(例えば高齢者層に偏っているとかですね)

 本当にプリウスのせいなのかたまたまなのかは判りません。ほんまにそうか?と疑って掛かる必要がある訳ですね。(あとそもそも大津市の事件に関してはプリウス関係ない)

 また、「車の運転は危ないからすべきではない」と考えてしまうときもあります。これもこれであながち間違いでは無いんですが、利便性を捨てて良いのか?という所は考えるべきだったりします。

 こういうのを過度な一般化、と言います。