くちばしコンサルティング

経営戦略を実現する、運用しやすい人事制度構築が得意です。

仕事は辛いことの対価 とする説は正しいのか?

山本遼

・仕事は辛いことの対価である
・仕事はしんどいものだ

 これらの言説は様々なところで耳にする。親から子に、先輩から後輩に、時には経営者から新入社員に、同僚同士で、オフィシャルな場だけでなく飲みの席などでもよく言われる。


皆さんはこれについて納得・同意するだろうか?

最近、とある企業で新入社員向けの講習をする機会があり、これについてのアンケートをとってみた。

1.全く同意:25%程度
2.やや同意:50%程度
3.やや反対だが、わかるところはある:15%程度
4.全く反対:10%程度 

 

n数は少ないので、これが正確に日本人の労働意識についての統計になるとはもちろん考えてはいないが、まぁ、おおよそ外れてもいないように思う。(今までの私の周りの人たちが極端に意識が低い人たちでないならば)

 

では、1~3に該当する人は、以下の問いについてはどうだろう?

 

「この洋服、サイズは少しぶかぶかだが、1週間飲まず食わずで頑張ったので、5万円で買って欲しい。」

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あなたは購入するだろうか?余程優しいとか、お金に余裕のある人なら買うかも知れないが、まあ買う人なんて居ないと思う。

 

どちらも、努力(あるいは苦労)に対して評価して欲しいという気持ちを表明しているものであるにもかかわらず、売る側(労働力を売っている)と、買う側とでは大いに持つ印象が異なってしまう。

 

われわれ人間は、自身以外の努力は軽く見る(飲まず食わずって言ったって少しは何か食べただろうとか、やりようがあるだろうやりようが、とか思う)ものだったとしても、ここには大いに隔たりが生じている。

 

では、誰かに対してお金を払う、という行為はどういうときに成立するのだろうか。

 

医師(町の診療所)の例で考えてみると、「注射という、普通の人が嫌がる行為をするから」「医師免許は国家資格で偉いから」でも無いと言うことは判るはず。
(嫌がることをするからお金を払うというのなら、嫌がることをする人全員に医師にはらうのと同じお金を払うか?(電車で騒ぐ子供への説教とか)と考えてみると良い。)

 

私の答えは、「体調が悪く困っている人の問題を解決してあげるから」である。

農家にしても、「自給自足を出来ない人の代わりに農産物を作っている」などだし、

茶店の場合は「何かを飲みたい、あるいは時間を潰す場所が欲しいと思っている人に飲み物と場所を提供する」という問題解決をしていることとなる。

 

このように、やり方は様々あれど、人から報酬を得るという行為は、誰かの問題解決をすることによって成り立っているので、冒頭にある「仕事はシンドイものである(しんどいから給料をもらえる)」という言説はそもそも間違い。


皆さんも、自分は誰のどんなニーズを解決しているのかを考えてみると、気持ちが新たになるかもしれません。

 

ただし、同じ問題解決・同じ報酬ならば、解決するのが楽な方は誰かが見つけてしまっていることも多く、残っている仕事がシンドイということは往々にしてあるので、現象として仕事がシンドイということを否定するものではないですが。(結局しんどいんかい)

 

*実際は様々な収益モデルがあるので、この例に限らないが代表的なものとして表示
*消費者の課題が後ろ向きで無いものもある。例えば「今の暮らしには困っていないがもっと良くなりたい」などのニーズもある
*そのために、ニーズを作り出すという行為もある。(今のやり方に慣れていらっしゃるかも知れませんが、弊社のシステムを入れるともっと楽になりますよ、 などの売り文句)